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大阪高等裁判所 昭和22年(上)106号 判決

上告人 被告人 松井楢太郎

辯護人 平田奈良太郎

檢察官 飯田昭關與

主文

本件上告はこれを棄却する。

理由

辯護人平田奈良太郎の上告趣旨は末尾添付の上告趣意書に記載のとおりであつてこれに對して當裁判所はつぎのとおり判斷をする。

第一點について

他人から窃盜を勸誘せられてこれを一旦拒絶したが、これに參加しなければ前の窃盜行爲を暴露する旨脅迫せられて前の犯行の發覺をおそれこれに同意し、さらに窃盜を敢行するにいたつた場合といえども、その窃盜事實の認識がある以上は犯意がないとはいえないし、また、不可抗力によつて全然精神の自由を喪失したものとも解せられないから犯人の責任を阻却する理由もない。しからば、被告人が原判示第二の窃盜を決意するにいたつた動機が所論のごとくであるとしても、これを有罪と認定しても法律を不當に適用した違法があるとはなし難い。

第二點について

刑法第五十四條の規定は、日本國憲法の施行後も、なお、現存しており、牽連犯にあつては處罰上一罪として取り扱うべきものであつて、盜罪についての公訴の提起があつた以上起訴の効力はこれと牽連する住居侵入罪に及ぶとの從來の解釋は日本國憲法の基本的人權尊重の精神に牴觸するものと認め難いから、今もこれを變更すべき理由がない。したがつて、起訴の公訴事實が窃盜に限られているにかかわらずその手段たる建造物侵入の行爲についても審理判決したとしても、所論のように審判の請求を受けない事件について判決をした違法があるとの非難は當らない。

第三點について

刑事訴訟法(大正十一年法律第七十五號)は、上告は原判決の法令違反を理由とするときに限り許されるとする從來の主義に變更を加え特に第四百十二條乃至第四百十四條の規定を設け法令違反のほかに量刑不當、再審事由、事實誤認の場合をも上告理由となし得ることとしたのであつたが、日本國憲法の施行に伴う刑事訴訟法の應急的措置に關する法律第十三條第二項によつて右特例規定はこれを適用しないこととなり今や量刑不當をもつて上告理由とすることは許されなくなつた。しかして、犯人に對して刑の言渡をするときその刑の執行猶豫を言渡すや否やは、もとより當該裁判官がその事件の情状によつて自由に判斷すべき實質的な裁量行爲であつて、右にいわゆる量刑の觀念に包含されるから、それが刑法の關係規定に形式的に違反するところのない限り法令違反の問題を惹起する關係にはないものといわねばならぬ。さらば、原判決は被告人に對して刑の執行猶豫を言渡すを相當とする諸般の事情があるにかかわらず實刑を科した不當があるとの論旨は上告の理由としてとうてい採用するを得ない。

以上説明したように論旨はすべて理由がないから刑事訴訟法第四百四十六條により主文のとおり判決をする。

(裁判長判事 荻野益三郎 判事 大野美稻 判事 態野啓五郎)

辯護人平野奈良太郎上告趣意

第一點原判決は法律を不當に適用したる違法がある。即ち原判決は其の理由に於て「被告人ハ立木寅太郎島袋真榮ノ兩名ト共謀ノ上(中略)二、同年四月十四日午前一時頃前同様ノ手段ニ依リ前同工場内ニ侵入シ前同様ノ管糸約十二貫時價金六百二十五圓相當ノモノ及木管袋一個ヲ窃取シ」と判示したるも右事實に就ては被告人松井楢太郎に於て共謀の事實はないのである。即ち原審第一囘公判調書中被告人の供述として「十三日の夕方島袋と立木は私方に參りまして又窃みをやらうと言ひましたので私は斷ると立木は以前の犯行を暴露する様なことを言ひますので私は止むなく付いて行きました」との記載及第一審第一囘公判調書中島袋眞榮の供述として「問、第二囘ニ同工場内ニ侵入スル事ニ付テ松井ガ斷ハツタト言フガ其ノ通リカ、答、松井ガ斷ツタノヲ私ト立木ガ連レテ行ツタノデアリマス」との記載を綜合すれば立木寅太郎及原審相被告人島袋眞榮が被告人に本件窃盜を勸誘したるも被告人に於て之を拒絶したるに立木寅太郎が之に參加せなければ第一囘の犯行を暴露すると脅迫したるに依り被告人は第一囘犯行の發覺を虞れ之れに畏怖し立木寅太郎及島袋眞榮の右犯行に同行したるものにして斯の様に他人に脅迫されてその犯行に加擔したる場合は犯意なきものと認めなければならぬ。從つて本件は犯意のない被告人の加擔行爲に對して有罪の認定を爲したるは法律を不當に適用したる違法があつて原判決は破毀を免れないものと思料する。

第二點原判決は審判の請求を受けない事件に付判決を爲した違法がある。即ち本件被告人に對する昭和二十二年四月二十六日付檢事の公判請求書に依れば罪名は窃盜を表示し公訴事實には「司法警察官意見書記載の窃盜犯罪事實」に限定せられて居るにも拘らず原判決は窃盜の外に建造物侵入の事實を認定し判決を爲したるは違法である。尤も裁判所は建造物侵入と窃盜とは手段結果の關係あるを以て假令窃盜の行爲に付起訴せられたる場合と雖もその手段である建造物侵入の行爲に就き審理判決を爲し得ることは從來の判例の認めるところなるも新憲法實施の今日に於ては人權尊重の基本的精神よりして假令牽連犯と雖も檢事の起訴せない事實に付ては判決を爲し得ないものと思料する。從つて此點に於ても原判決は破毀せられるものと信ずるのである。

第三點原判決は法令違反の事實あるものと思料する。即ち原判決は被告人に對し刑法第二十五條を適用し刑の執行猶豫を言渡すべきに拘らず之を適用せず懲役一年の實刑を科したのは法律の適用を誤つた違反であると思料する。此の事實は刑事訴訟法第四百十二條の所謂量刑の甚しき不當の事項に該當するものであると論ぜらるるも同條の事項は之を法令違反の外に置かれたるも眞の意義は之を以て法令違反の範圍を擴張したものと言ふも不可ないのである(平沼博士著新刑事訴訟法要論六二六頁)。從つて刑の執行猶豫を言渡すべき場合に之を言渡さないのは法律違反であると思料する。被告人に對し刑の執行猶豫を言渡すを相當とすべきことは

一、被告人は當四十七年の今日迄前科なく又起訴猶豫處分も受けたことのない至極眞面目にして實直な男である。本件犯行は友人の梅野又一から曽て綿糸の良い賣先があつたら知らして呉れと頼まれて居たので立木寅太郎及島袋眞榮等に梅野又一から頼まれて居ることを話したところ立木及島袋の兩名が昨年三月十四日の晩被告人宅に來て綿糸の良い賣先があるから是非一度品物を見に行つて呉れと申したので被告人はそれでは一度見に行くが何時行けば良いかと尋ねたところ同月十八日の晩來て欲しいといふと兩名は歸つたのである。ところが同月十八日午後四時頃に被告人宅に實兄が久振りで訪ねて來たので被告人は實兄と久振りで飲酒し實兄が午後九時頃に歸つた後へ立木と島袋が參り是から品物を見に行つて呉れと申したので被告人は今晩は遲き故明朝にして呉れと斷つたところ同人等は現今の事だから一刻も早く現品を見て貰はぬと機を逸すからと急ぎ立てたる爲多少酩酊して居た被告人は止むなく同人等に案内せられて行つたところ本件犯行の日紡高田工場の裏手電車線路の傍まで連れて行かれ島袋は被告人を其處に待たせ何處かへ行き十五分程して戻り被告人に右工場内へ入る様強要したので被告人は島袋に案内される儘同工場内に入りたるところ島袋が工場内から品物を取出すのを見て始めて窃盜の事實を知りたるも今更中止も出來ず遂島袋に勸められる儘に本犯に及んだのであつてその情状詢に憫諒すべき點があるのである。

二、被告人は本件贓品たる綿製品である拾番手チーズ七十六個及管糸約二十八貫を豫て依頼を受けた梅野又一に賣却した代金八萬圓を島袋に四萬圓立木に一萬五千圓を渡し被告人は二萬五千圓しか取得して居ないのに被告人は本件犯行を衷心悔悟し自ら八萬圓を調達して梅野又一に返却し同人は被害者日紡高田工場に贓品を返還したので被害者も滿足し本件は實害なきに至つて居るのである

三、被告人の性質行状に就ては司法警察官作成の素行調書及原審に提出せる高田町會議員藤榮繁藏外六名の歎願書並に町會議員萬津一力外二十四名の歎願書に依り明白なるが如く平素の行状は至極眞面目且正直一途で通し性質は至極温厚にして信仰心深く一面義侠心に富み人に對し情深く是迄窮境の者を援助更生させた事二三に止まらず又公共事業に相當の寄附を爲し一般町民から模範的人物として尊敬を受けて居るのである。

四、被告人は農業を本業として傍ら副業に養鶏を爲し日夜粉骨碎身農業に精勵し篤農家の聞え高く昨年も卒先して百十パーセントの供出をなし一般農家に範を垂れ當局から賞讃されたのである。

五、被告人は昭和十二年八月二十五日奈良助川部隊に應召し同年十月八日神戸港を出帆し太站に上陸して其の後南京攻撃戰、徐州戰、隴海戰の追撃戰、武漢三鎮の攻撃戰等幾多の大戰鬪に參加し最後に大別山の戰鬪で胸部に貫通銃創を負ひたるも幸にして一命を取止め昭和十五年六月十一日歸還養生して囘復したるところ更に昭和二十年六月二日郷土高田特警隊に應召終戰と同時に復員したのである。

六、被告人の家庭は妻トミヱ當四十七年婿養子新玉當三十一年長女美智子當二十年次女桂子當十八年三女弘子當十六年長男宏當八年の七人家族にして家庭は至極圓滿である。

七、被告人は本件犯行を衷心悔悟し保釋後只管謹慎して農業に精勵し改悛の情詢に顯著である。

八、右諸般の事情を綜合すれば被告人に對し執行猶豫の言渡を爲すを相當とすべきに拘らず原審は執行猶豫の法條を適用せず被告人に實刑を科したるは法律の適用を誤つた違法があるから破毀せられるものと思料する。

以上諸般の事情を綜合考覈の上原審判決を破毀し被告人に對し執行猶豫の御判決を賜り度切望する次第である。

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